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『鏡の話』※R18


 

 それはヨシカゲが、フリーク街のバーでひとり酒をあおっていた時のことだ。

「よぉ、別嬪さん。隣いいかい」

「あぁ?」

 ヨシカゲの返事も聞かずに、ロックのグラスを手に持った男が隣に座り込んできた。

(めんどくせぇ……)

 ヨシカゲが胸元の拳銃に手を伸ばした時、その男が手を差し出して止めた。

 そしてその男の顔を初めて見上げたその刹那、時が止まるような感覚を覚えた。

(――綺麗だ)

 その男は漆黒の艶やかな髪をなびかせ、その髪に負けないぐらいに黒く美しい瞳、つやのある肌の色、正直、自分と同じぐらいの美しさだ、と。

「え?どした?オイラが綺麗すぎて撃つの止めちゃった?ヨシカゲちゃん」

「――!?お前……」

 知ってて近づいてきたのか、と問えば、男はロックグラスを豪快にあおって肯定の意を示した。

「オイラの名前――あー、通り名だっけ。『キクノスケ』ってんだよ。よろしくしようぜ、ヨシカゲちゃん」

「断る」

 正直見た目は美しかろうが、通り名付きの殺人鬼にはロクなやつがいない。ヨシカゲはグラスを一気に飲み干して立ち上がり、とっとと家に帰ろうとした……その時。背後に気配を感じた。それも、複数。

(狙われてた……?)

「ヨシカゲちゃん、何の狙いもなくオイラが声をかけるわけないじゃ~ん」

 背後の複数の気配に冷や汗をかきながら、思考を巡らす。どうやって逃げる?

「なーにも悪い話じゃないよ。簡単に言えば『組まない?』って話」

「組む?」

「そ、オイラたちって見ての通りの美貌じゃん?」

 小さい頃から母親に女の格好とかさせられたりさ、とか、勝手に自分語りに陶酔している間もヨシカゲはじっと動いたまま、思考を巡らす。――逃げ道、逃げ道は。

「まーいわゆる美人局とか売春とかそういうもんで、オイラたちは金かっぱらって暮らしてるわけ。シンプルでしょ?」

「……短絡的すぎて反吐が出るね」

「わー、この期に及んでそんな減らず口利けるんだ。さすが、『あの5人』のひとりってわけね」

 背後で聞きなれた音がした。オートマの引き金に手をかける音。

「わかってると思うけど、アンタは逸材だから殺しはしない。そこは安心してくれていいよ」

「うるっせぇ!いっそ殺せよ!!」

「うーん、初々しいクソガキだなぁ。……おい、あれつかっちゃって」

「なに――!?」

 背後から顔面をガッと押さえつけられたかと思いきや、ハンカチのようなもので鼻から粉状のものを嗅がされる。直感した――麻薬だ!

(や、やっべぇ……)

 鼻腔を伝った粉末は、ヨシカゲの脳を瞬く間に侵した。

 視界が揺らぐ、望んでもいないのに口が閉まらず、唾液が零れる。立っていられない。呼吸さえまともにできない気がして、ヨシカゲはその場に倒れ伏すことになった。

「いい子にしてたらもっと穏便にしてあげたんだけど。あ、フリーク街にいい子なんていないか!あはは!!」

 キクノスケはカウンターに座りながら美しい声で、いやらしく笑う。

(く、くっそ……)

 ヨシカゲの思考はもはや使い物にならない。キクノスケがカウンターを降りて近寄り、語り掛ける声を聞くことしかできない。

「いーいじゃん。バカな男女捕まえて、セックスして気持ちよくなって、殺して気持ちよくなって、金まで手に入るのよ?断る理由がどこにあるの?」

「あ――が――」

 脳が本能的に否定したがっている気がするのだが、半開きになっているヨシカゲの口からは唾液と呻きが漏れるだけだ。

「まーオイラもアンタのこと何も知らないわけじゃない。セックス嫌いなんだって?ケッペキシショー、だっけ。難儀だね、生きにくそう」

「う……へ……」

 うるせぇ、と言いたかったのだと思う。

「でもそれってさぁ、本当の快感を知らないからじゃない?今ってさぁ、ヤクキメちゃって最高にハイじゃん?知ってる?キマッテルときのセックス、あじわったこと、ある?」

 ――ごくり。

 いやだ、本当ならそんなの絶対に嫌だ。――嫌な、はずなのに。

 麻薬の効果か、キクノスケの言葉が魅力的に……蠱惑的に聞こえる。

(きもちいいのか?)

 好奇心がドクンと脈打った。

「あ、今めっちゃドエロイ顔してる。興味持っちゃった?ちょうどいいね、ガンギマリセックスしてみる?オイラの手下もいるから乱交もできるよ!あぁ、そうか、ケッペキショーは『お薬』で直しちゃえばいいんだわ!」

 キクノスケは上手いことを思いついたと大声で笑った。

「というわけでヨシカゲちゃん、ヤク漬けセックスコースにごあんな~い」

(いや、だ……!)

 麻薬は相変わらず脳を支配しているが、ヨシカゲの本能が警鐘を鳴らす。しかし無情にも地に伏した身体は動かず、ヨシカゲの滑らかな肌にキクノスケが手を這わし……やがて、至近距離で見つめあう。

 

 ――まるで、鏡。

 

 美しい、その瞳。その中に自分も映っている。麻薬に蕩けた己の姿は確かに妖艶にも見えた。

(オレと、こいつが、鏡)

 美しい、それだけなのに。生き方は全く違うのに、その時ばかりはまるで鏡写しのようで。

(あぁ、もしかして、こいつは、『オレ』なのかも――?)

 気が付けば、己でも理解できない思想に支配されていた。

 キクノスケがその艶やかな唇を、ヨシカゲの唾液まみれの唇に這わす。突然の感触に薬で敏感になっている身体がびくりと跳ねた。

 抵抗したい、できない。しかもキクノスケは手慣れている。ヨシカゲの――というより、人間がどこを弄られれば快感を感じるのか熟知している。

(嫌、だ、けど)

 そう、嫌。嫌。嫌。嫌なのに。

 

 『目の前の男が鏡にしか見えない』

 

 ヨシカゲは泣いていた。もうわけがわからない。自分の思考すら、信じられなくなるなんて――。


 

 

「ヨシカゲ!!大丈夫ですか!!」

 甲高い声にはっと意識を引き戻された気がした。

「こんな公共の場で、不埒な行為は許しません!」

「けっ、『風紀委員長』サマのお出ましかい」

 キクノスケは興を削がれた、という風に、すんなりとヨシカゲから離れ、ナイフを構えたジャックを睨みつけながら両手を挙げて、仲間を引き連れてバーを後にする。――しかし、最後には振り返ってヨシカゲに向かって

「オイラはアンタを諦めないよ?ヨシカゲちゃん」

 嬌笑を置き捨てて、去っていった。


 

 ジャックが駆け寄った時、ヨシカゲはぼうっと天井を見つめたまま何も言わなかった。

薬の効果は少し薄れてきたのだろう。簡単な受け答えはできるようになっていた。

 ジャックはアジトに連れ帰ろうかと思ったが、彼は今きっと、誰とも会いたくないかもしれない――そう直感して、バーの外で2人しばらくうずくまることにした。

 ヨシカゲもそれに対して暴れることもしなかったため、2人はしばらく、店の前に黙って座っていた。

「――ごめんなさい、助けるのが遅くなっちゃって」

「……いいよ、ほまえのせいじゃねぇ」

 まだ呂律が回りきらない口でヨシカゲは応えた。

 ――と、突然、ヨシカゲの肩が震えているのをジャックは見た。泣いている。プライドの高いヨシカゲがこんなにも露骨に涙するのをみるのは初めてだった。

「オレ、わかんなくなっちまったんだ。自分が。あいつのがまるで、自分の『鏡』みたいに見えて、もしかしたらあいつはもうひとりのオレなんじゃないかって、それで」

 おそらく、自分の信念が麻薬によってゆがめられたことに恐怖したのだろう。ジャックは無言で、ヨシカゲの肩を抱く。

「麻薬でセックスしたら、気持ちいいのかなとも思っちまったし!!あんな風に生きたらどんなに楽かとも思っちまった!!オレは、嫌なはずなのに、嫌だ、怖い!!オレは、あいつなのか……!?」

「違いますよ。……ヨシカゲは、ヨシカゲです」

 ジャックは優しく、しかしはっきり応えた。

「鏡なんてそんなもの、割っちゃえばいいじゃないですか」

「……あ?」

「見たくないものは、見なきゃいいんです」

 ジャックは寂し気に笑いながら、まるで子供に語りかけるようにヨシカゲに囁く。

「たとえ醜い自分でも、見たくなければ見なくていいんです。私たちは、もうあがくことしかできない。だから――卑怯でも、生き延びるしかない。割っちゃいましょう!そんな鏡!」

 最初こそとつとつと語っていたものの、最後にはいつも通りの満開の笑顔で笑うものだから、ヨシカゲは面食らった。なにかヨシカゲの心には腑に落ちないところがあるものの、薬がまだ残った頭では、考えることはできなかった。

(今日は、考えるのはやめよう)

「さ、帰りましょう。送りますよ」

 ヨシカゲは震える手で、ジャックの手を握った。

 

 (次に来たら、叩き割ってやる――)

 

 その夜はそれだけ、それだけがヨシカゲの頭をぐるぐると回っていた。


 

おしまい

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